■平成元年:アウトドア専門店「ペグ」オープン
時代は昭和から平成へと変わり、当社直営店のポイントも関東・神戸・山陽・九州と全42店舗(平成2年当時)へ出店。店頭に並ぶ商品も釣具のみならず、キャンプ・海洋レジャーと次々に拡大していきました。レジャーの多様化に伴って釣具の売上が順調に推移しただけでなく、レジャー用品の伸びが急増。そのような中で当社は、"人と自然の共生を図るための情報発信ができる専門アンテナショップ"の構想を抱いていました。
余暇時間の増大と自然回帰志向に伴うアウトドアレジャーの将来性を考え、平成2年、釣具のポイントとは異なる軽登山・キャンプ・マリンのアウトドア専門店「ペグ」開設を発表。同3年に九州各地からのアクセスに便利な久留米にオープンしました。
■平成4年:株式会社タカミヤへ社名変更
ポイントとペグの併設展開を機に、レジャー産業の将来性、当社の更なる飛躍を考えていました。 21世紀を視野にグローバルな地球企業としての理念を目指し、C・I(コーポレートアイデンティティー)を導入。平成4年には株式会社高宮諦商店から株式会社タカミヤへ社名変更をし、シンボルマークのアースグリーンとマリンブルーに地球・大海原・大草原・自然環境の保全と未来への発展を誓いました。アースグリーンは地球を大切に思う気持ちと自然へのやさしい心を表現し、マリンブルーは海や川の清らかさ、瑞々しさを象徴する、フレッシュで活動的なイメージを表現しています。
■平成5年:先代社長の急逝と新社長の就任
アウトドアショップ「ペグ」も久留米を皮切りに、平成4年までに九州各地に6店舗と順調に展開、21世紀のアウトドア総合商社としての夢を膨らませていた矢先の事でした。平成5年の6月末、生まれながら頑強で病気ひとつしたことのなかった先代社長高宮義諦は、突然クモ膜下出血のため自宅で倒れました。直ちに北九州市立八幡病院にて懸命の治療を行いましたが、7月8日、78歳の生涯を閉じました。
そして翌8月、当時経営の全般を補佐していた副社長・髙宮俊諦が先代の遺志を継ぎ、社長へ就任、新生タカミヤの出発となりました。
■平成6年:ガイアランド計画
余暇時間の増加に伴ってレジャー熱が高まる中、全国各地では、アウトドアブームの波に乗って自然本来の姿とはかけ離れた人間本位の利便性や利益追求型のアウトドア施設の乱開発が行われました。この目に余る状況は、アウトドア総合商社の当社としては非常に残念でした。
そこで、人と自然が共生しながら自然を楽しみ、情報発信のできる施設をつくる事ができないだろうかと考案していた折、清水國明氏と出会いました。数年前から温められていた清水氏の丸太小屋計画の構想や当社の考えを、先代の郷里熊本県の南小国町へ気持ちを伝えたところ、互いに共鳴し、平成5年、10,000㎡の広大な大自然に会員制アウトドアフィールドを開設することになりました。清水氏を中心としたボランティアの人達の手づくりでこのフィールドの中心にシンボルとなる、風倒木を利用したログハウスを作り、このフィールドを「ガイアランド」と名付けました。
―海外展開とIT化
■平成6年:韓国タカミヤのオープン
国内の事業拡大とさらなるグローバル企業への躍進を目指し、平成6年3月、全額出資(現資本金邦貨約5億円)の韓国タカミヤを釜山に設立しました。現社長が韓国との20数年に及ぶ緊密な取引の中で韓国投資誘致団の勧誘を受け、出店の決意をしたことがきっかけとなった訳ですが、実際韓国に参入してみると当社の予想をはるかに上回る反対運動にあいました。設立発表から同業者の反対デモ・マスコミ報道は過激で、当初4月末に予定されていた開店も大幅な延期を余儀なくされました。
しかし、昭和43年に経験した、ダイエーとの取り組みに対する小売店の不買運動やメーカー圧力からも、目先の利益にとらわれず行動することを実践しました。「韓国の人々のために何ができるか」という本来抱いていた進出の目的がひとつひとつの障害を克服したのでしょうか。その後、韓国政府や釜山市の関係省庁の全面的な支援や国際化・市場開放の大きな流れの中で、ようやく9月7日正式にオープンすることができました。現在では韓国内の釣人や業界関係の方々にも親しまれ、韓国の人々の人情の深さや温かさに励まされながら順調に展開を続けています。今後も日韓親善に少しでも貢献できればと思いますし、2012年10月現在も釜山白鶴洞店にて店舗を運営しております。
こうして将来のアジア・オセアニアの海外展開への第一歩が踏み出しました。
■平成5-8年:物流センター落成
ポイント・ペグの多店舗化、T.P.C会の会員増加等に伴った小売事業部・卸事業部の規模拡大、また韓国タカミヤを含む海外事業の新分野開拓など、内部組織・従業員の増加につれて本社物流施設を含む諸機能は徐々に手狭になってきました。21世紀の高度情報化・物流のあり方・将来計画を考えていた折、北九州市地域開発構想のもと、平成5年、新日鉄より遊休地売却の話がありました。契約はスムーズに進み、平成7年3月本契約を終了、同9月物流センターの起工式が行われました。
16,500㎡の敷地の中に地上3階建、延べ面積12,800㎡の建物内には4基のスタッカークレーンを備えた立体自動倉庫や延べ250mの搬送コンベアーと7シュートの仕分ラインコンベアー、3基の垂直搬送機など最新の物流設備とPOS対応の大型ホストコンピュータを導入したOA設備のほか、100インチプロジェクター完備の視聴覚研修センターを備え、製造・販売・配送・情報が一体となった業界初のシステム稼働となりました。
■平成9年:POSシステムの全体導入
物流センター設立の次に取り組んだのが店舗のシステム化でした。長い間続けてきた勘と経験に依存した昔ながらの商売を、誰がやっても一定のレベルの成果が出せる科学的な仕事の仕組みに変えていく事を目指し、業界の先陣を切って平成10年4月に全店にPOSシステムを導入しました。当社が情報システム化に取り組む前は、釣具のバーコードの装着率は30%程度でしかなく、POS導入が考えられる状況にはありませんでしたが、先頭に立って業界全体にその必要性を呼びかけた結果、 業界としての活動と相まって、わずか1年でPOSを導入できるレベル(99%)にまで達することができました。
POSシステム導入により、単品の動きや粗利、在庫等が掴めるようになり、全社在庫高の大幅な削減や粗利率の向上等、経営指標が大幅に改善されました。また、商品発注の自動発注化により、発注の漏れ削減による欠品の防止と発注作業時間の大幅な短縮を実現しました。前述の物流センターとこのPOSシステムは、言うまでもなくその後の当社の経営を支える技術的なインフラになりました。平成17年、更に情報システムは進化し、第二次NIS計画により、基幹・物流・店舗など、全てのシステムが一新されました。
■平成13年:会員組織P’S CLUBスタート
長い不況は業界の売上に影響を及ぼし、チラシを撒いてもお客様が容易に反応してくれない時代となりました。釣具業界でも売上シェアの獲得を巡って小売店の間で熾烈な価格競争が繰り広げられましたが、当社はその動きとは一線を画して、お客様との強固な信頼関係を作ることに取り組みました。そして平成13年7月、会員組織“P’S CLUB”をスタートさせました。同時にデータウェアハウスを導入し、お客様へお買い上げに応じたサービスをご提供できる体制を整備。お買い上げに応じてカードのランクが変わって行く仕組みを確立し、お一人おひとりに応じた最適なアプローチを行うことを目指しました。
設立6年後には会員数が35万人に達し、直近10年間のお客様別の単品買い上げ率もリアルに検索できるようになりました。このP’S CLUBも業界内では突出した仕組みであり、他社と差別化する当社の強みとなっています。